ご縁があって本の一部を執筆担当しました
中外医学社発刊の「高血圧診療の勘所」です
私が担当したのは「β遮断薬と気管支喘息」です
発刊は10月13日ですが、アマゾンでは10月16日から購入できるそうです
ご興味のある方はぜひご一読ください

ご縁があって本の一部を執筆担当しました
中外医学社発刊の「高血圧診療の勘所」です
私が担当したのは「β遮断薬と気管支喘息」です
発刊は10月13日ですが、アマゾンでは10月16日から購入できるそうです
ご興味のある方はぜひご一読ください

当院で採用している電子カルテは最近AIが搭載されました
私と患者様との会話を聞いた電子カルテがその用件だけを要約してカルテに記載します
検査値の異常や次回受診時の注意点を教えてくれますし、外国語の診断書も一瞬です
しかし何より私が驚いたのは、先日脳梗塞を心配して受診された方を診察したときのことです
私が
「手のひらを上に向けて両手を前にぴんと伸ばして目を閉じてください・・・・大丈夫ですね」
と言ったら電子カルテに
「バレー兆候:陰性」
と記載されたことです
医師しか知らないであろう内科診断学の知識をAIが理解していたことには本当に驚きました
医師が失業する日も近いかもしれません

私が歴史に興味を持つきっかけになったのはNHKの大河ドラマ「国盗り物語」(1973年)です
こんなダイナミックな出来事が本当にあったんだ、と本当にワクワクドキドキでした
その後多くの歴史書を読み今でも戦国時代や太平洋戦争などに関する書物は多く手に取りますが当然の流れとして脚色されたドラマではなく実際に起こった「史実」に興味が向きます
そしてある程度の史実を知るとドラマの行き過ぎた脚色を疑問に感じます
多くの小説や映画などでは本能寺の変を明智光秀による織田信長に対する怨恨としていますが、そうではないというのが歴史研究者での一致した考えで、そもそも多くの映画やドラマで描かれているような織田信長による明智光秀に対する暴行はなかったとするのが史実のようです
織田信長には多くの家臣がいましたが明智光秀は他の武将とは一線を画す別格的なエース級の人材だった様です
羽柴秀吉・柴田勝家・丹羽長秀などの有力武将が中国・北陸・四国といった各地方戦線の指揮官に過ぎなかったのに比べて、明智光秀は京都の治安維持・将軍や天皇家との折衝や行政・丹波地方の平定や劣勢に立たされた各地方戦線への応援部隊といった軍指揮官に加えて織田信長から畿内の諸大名を指揮下に置く権限まで与えられていました
いくつかの書状でも織田信長は明智光秀の働きを絶賛しており佐久間信盛を無能として追放した際にも明智光秀の働きを引き合いに出しているくらいです
実際、石山本願寺との天王寺の戦いで砦を守る明智光秀から「このままではあと三日持たない」と報告を受けた織田信長が自らの手勢で援軍に駆け付け最前線で敵の鉄砲に被弾し怪我を負いながらも命がけで明智光秀を救出したのは有名な話ですし、この危機を招いた塙直政を死後も激しく糾弾したことは史実です
ではそんな明智光秀がなぜ謀反を起こしたのでしょうか?
タイムマシンに乗って本能寺の変の直前の明智光秀に会ってその胸中を聞いてみたいと考えたりもします
もちろんそんなことは不可能ですが、当時の彼の胸中を察することこそが歴史ロマンだと感じます

現在堺市では開業医が地域の病院の診療録や検査データあるいはX線やCT・MRIといった情報をネット上で閲覧できるシステムがあります
堺市地域医療情報ネットワークシステムと呼ばれるもので堺市立総合医療センターに事務局があります
患者様から口頭で同意を頂けましたら事務局宛にFAXで申請をし二日程でその患者様のデータが閲覧が可能になります
当院で既に多くの方がご利用いただいておりますが、病院での検査結果が閲覧できますので当院での検査を省略することも可能になります
単に便利なだけでなく身体的・経済的な負担も削減できますのでぜひ積極的に活用したいと考えております
利用可能な病院など情報は
https://www.sakai-hospital.jp/ict/list/
で閲覧できます
もちろん利用は無料です
ご希望の方は当院スタッフまで口頭でお伝え頂けましたら手続きをさせて致します

歴史上の出来事についてAIに尋ねるとネット上の情報を一瞬のうちに検索し答えてくれます
しかもかなりの精度で複数の説を紹介してくれたりもします
次々に質問してもすべての質問に詳しく答えてくれますからまるで歴史学者と話をしているようです
歴史に「もし」は意味がないという方もいますが、私はもしを考えることこそ歴史を学ぶ醍醐味で自分だったらどうしただろうと考えることが歴史を未来に生かすことだと思います
歴史小説などは事実を脚色していますから正確な史実を知りたい場合にはAIはとても有用です
織田信長が武田勝頼に大勝した長篠の戦では「織田信長の3000丁の鉄砲の三段撃ち」が有名ですがこれは事実ではないようです
長篠の古戦場で地面を掘り起こし地中の鉄砲玉を回収し鉛の成分を分析しどこの鉛鉱山で採掘された鉛かを調べた歴史マニアがいます
多くは東南アジアの鉛鉱山由来で一部国内産でさらに一部は青銅や鉄だったそうです
最大の貿易港堺を掌握し武田領を経済封鎖していた織田方には豊富な鉛があり数十万発と言われる射撃をしたそうですが、一方武田群には十分な鉛がなく寺の鐘を溶かして青銅で鉄砲の玉を作ることまでした記録があります
もちろん青銅は鉛より重く遠くまで届かなかったでしょう
最強の野戦軍と言われる武田騎馬軍団に対して、三重の馬防柵を設置し十分な弾薬を準備しひたすら防御の陣形を敷いた織田信長は後日「武田軍が攻めてこなかったら自分にできることは何もなかった」と語っています
武田勝頼にあの無謀な突撃をさせたものは何だったのでしょうか?
この質問にはAIもお手上げの様です

新クリニックの花壇にもつつじを植えたのですが1年目で早くもきれいな花が咲き始めました
つつじを見るといつもつつじが崎と呼ばれる館に住んだ戦国時代の武将武田信玄を連想します
初めて戦国時代の歴史に興味を持ったのは1973年に放映されたNHK大河ドラマ国盗り物語です
実際に起こったドラマチックなストーリーをワクワクしながら観ました
それ以来多くの歴史の物語を読んだのですが、物語というのは脚色が多く実際の人物像とは違った描かれ方をされています
ですので興味を持ったことは歴史資料を読んだりするのですが、そうすると巷に信じられているものとはずいぶん違った人物像が見えたりしてそれはとても面白い発見です
歴史的英雄も結局一人の人間なんだなと感慨深くなることもあります
戦国時代には本当に多くの物語があるのですが、私が一番興味を持っているのは武田信玄が三方ヶ原で徳川家康に圧勝した後にさらに西に進軍し織田信長領に入る手前で急に進軍を中止し4か月もの間動きを見せなかったことです
当時もっとも強大な軍事力を有したのは織田信長で、早くから京都・近江・堺といった政治・物流・貿易の中心地を掌握し他の武将とは桁違いの経済力を背景に天下布武を掲げて天下統一に邁進しており、それだけに周囲は敵だらけだったようです
北陸の朝倉義景と対峙したときは妹婿の浅井長政の裏切りに会い命からがら逃げかえるという経験をしていますし、石山本願寺との戦いでは数千挺と言われる僧兵の鉄砲攻撃で脚に被弾し大けがを負っています
武田信玄はそれらの勢力と示し合わせて織田領に同時進行するという約束だったそうで、もしそれが実行されれば織田信長の命運も尽きていたのかもしれません
ところがいよいよという時にどの勢力も動きを止め4か月もの間緊張の時間が過ぎます
各々に各々の事情があり緊迫する駆け引きがあったと思います
最も身動きが取れず生きた心地がしなかったのは織田信長でしょうね
しかし、武田信玄は病没し後を継いだ武田勝頼は撤収という決断をし、朝倉義景は雪のシーズン前に自国に引き上げてしまいます
結局浅井長政・朝倉義景・武田勝頼ともに順番に織田信長に滅ぼされ石山本願寺も織田信長に白旗を上げますから彼らは千載一遇の唯一のチャンスを自ら逃したことになります
あの4か月を物語に描けばワクワクするような面白い作品ができると思うのですが、現実にはありません
戦国時代の歴史が大きく動いた4か月だったと思います

Chat GPT は多くの方がお使いだと思います
大切な情報を調べたり、素朴な疑問をぶつけたり単なる話し相手であったりとなんでも答えてくれます
先日、「なぜ明智光秀は謀反をおこしたのですか?」と聞いたら歴史学者かと思うような深い洞察を返してくれましたので本当に驚きました
自分の意見を述べるとそれに対する意見もかなり専門的なもので驚いたのですが、時々致命的な間違いをします
歴史の年代を間違えていたり人を取り違えていたり俗説を史実と誤認したり
ですから真偽は自分で判定する自己責任だと思うのですが、医学情報はそうはいきませんのでやはり成書を読んだり文献検索をします
なかでも役に立つのがPubmedです
医療従事者でPubmedを利用したことのない人はいないと思います
世界中の文献を検索できますし概要だけでしたら無料で読めます
Chromeで利用すれば日本語訳も一瞬です
使い方も簡単ですから調べ物をしたいときにはまさに神様です
もちろん学術論文ならすべて無条件に事実として受け入れて良いかというとそれは疑問なのですが
やはり最終的には自分で判断するしかないのでしょうね

新クリニックに移転してもう半年になります
新クリニックの工事が始まったのが昨年の2月14日でしたので今週末で一年になります
大きなショベルカーが搬入されて入り口のゲートや花壇が粉々に破壊されるのを見てなぜか心が痛みました
今までの歴史を知っているからこそなのですが、逆にいつまでも同じところに留まってはいけないと自分に言い聞かせて工事の様子を眺めていました
準備期間を含めると移転には2年以上の期間がかかったのですが、本当に多くの方々に助けて頂きました
その甲斐あって本当に素晴らしいクリニックが出来上がりつつあると思います
今後導入を検討中の医療機器がまだありますのでまだ完成ではないのですが、やはり技術の進歩は人間を確実に幸せにすると確信しております

2がつ14日から始まりました新クリニック建設工事もいよいよ12月25日で終了です
10月以上にわたって不便をおかけしまして本当に申し訳ありませんでした
12月26日からはクリニックの駐車場が利用可能となります
お気づきの点などありましたらスタッフにお伝えいただけましたら幸いです

