雑談 74 史実
私が歴史に興味を持つきっかけになったのはNHKの大河ドラマ「国盗り物語」(1973年)です
こんなダイナミックな出来事が本当にあったんだ、と本当にワクワクドキドキでした
その後多くの歴史書を読み今でも戦国時代や太平洋戦争などに関する書物は多く手に取りますが当然の流れとして脚色されたドラマではなく実際に起こった「史実」に興味が向きます
そしてある程度の史実を知るとドラマの行き過ぎた脚色を疑問に感じます
多くの小説や映画などでは本能寺の変を明智光秀による織田信長に対する怨恨としていますが、そうではないというのが歴史研究者での一致した考えで、そもそも多くの映画やドラマで描かれているような織田信長による明智光秀に対する暴行はなかったとするのが史実のようです
織田信長には多くの家臣がいましたが明智光秀は他の武将とは一線を画す別格的なエース級の人材だった様です
羽柴秀吉・柴田勝家・丹羽長秀などの有力武将が中国・北陸・四国といった各地方戦線の指揮官に過ぎなかったのに比べて、明智光秀は京都の治安維持・将軍や天皇家との折衝や行政・丹波地方の平定や劣勢に立たされた各地方戦線への応援部隊といった軍指揮官に加えて織田信長から畿内の諸大名を指揮下に置く権限まで与えられていました
いくつかの書状でも織田信長は明智光秀の働きを絶賛しており佐久間信盛を無能として追放した際にも明智光秀の働きを引き合いに出しているくらいです
実際、石山本願寺との天王寺の戦いで砦を守る明智光秀から「このままではあと三日持たない」と報告を受けた織田信長が自らの手勢で援軍に駆け付け最前線で敵の鉄砲に被弾し怪我を負いながらも命がけで明智光秀を救出したのは有名な話ですし、この危機を招いた塙直政を死後も激しく糾弾したことは史実です
ではそんな明智光秀がなぜ謀反を起こしたのでしょうか?
タイムマシンに乗って本能寺の変の直前の明智光秀に会ってその胸中を聞いてみたいと考えたりもします
もちろんそんなことは不可能ですが、当時の彼の胸中を察することこそが歴史ロマンだと感じます












